スローな日記

気ままに書きます(ほぼ飲み日記)

働くゴールはどこにあるのか

働くことの意義は何か。たくさんの人が思うことだが、この問いは永遠に続くのだろうか。
今日、映画を見ながら気がついたのだが、戦争ものの物語は「戦うことをやめて平和になるために戦う」ということの意義を問いかけている。そして平和な我々は「働くことをやめて自由になるために働く」ことを繰り返している。「戦うこと自体」や「働くこと自体」に意義を見いだす人のみがこの呪縛から逃れられるのだろうか。
もちろん、戦うことの正当化は認められない。だが、働くことの正当化は見つけることが出来るだろう。それなら確実にそこを目指すべきだろが、”指揮命令”や”競争”がまた厄介な状態を生み出す。そして”言った者勝ち”の状況や、その状況適応の自分にうんざりする。


働き続けている側にも閉塞感は多い。しかも年月とともにその悟りと諦めが積もっていく。